新緑の梢ごしに見える青空、耳にここちよい瀬音、つぎのポイントでは、あの落ちこみには…と期待をこめて釣り登っていく醍醐味、岩となり木となって自然にとけこみ、息をつめて竿をふりこむ一瞬…。木もれ陽が、渓流の白泡の消えるあたりにチラチラとおどる。この魅惑の虜になってからもう何年になるであろうか。84歳になった今も、禁漁が明けると極細の仕掛けを作るなど、いそいそと準備をし、出かける。
最近ではふたまわり以上も若い釣友と車で、伊豆の河津川の源流部や群馬の吾妻川水系、ときには盛岡まで足をのばす。しかし、車からおりてすぐに釣りはじめられるほど林道が奥にまでのびた今では、そのぶん魚影はうすくなっているので大釣りは望めない。また、その気もない。釣果がゼロでなければ1尾か2尾でも大満足なのである。
半世紀も前、夏の黒部川の源流、当時は雲の平から薬師岳までのルートでは他のパーティに会うこともなく、一軒の山小屋もないほどに人里から遠い山城であった。イワナの魚影も濃く、警戒心もうすいので、身をひそめることもなく竿を振れば、尺イワナが竿をしならせるという良き時代であった。途中、薬師沢の出会いでテントを張り、夕食の支度をしている間に必要な数だけ釣って、味噌汁に塩焼きにとぜいたくに食卓をにぎわしたものだ。翌日、薬師沢を釣りながら登り薬師岳にむかう。薬師岳のカールでのキャンプでも焚き火をかこむ夕食にはイワナがぜいたくに供された。その後、無事薬師岳の登頂を終え、有峰を経て富士にくだった。豊かな青春の山旅であった。
その後、野呂川に足しげく通うようになる。この川は南アルプスの間ノ岳に源を発して、北岳を時計まわりにぐるっとまわって流れくだり、途中早川と名を変え富士川に流入する花崗岩の白い砂礫で明るく開けた谷である。北岳の表の登山口が東側の広河原とすれば、野呂川を遡行して西側にまわり、両俣から登る裏ルートもある。やはり半世紀前に入ったこの谷はイワナの宝庫であった。仙丈沢の出会いに幕営して竿をだすと尺もののイワナが入れ食い状態で釣れた。焚き火で焼き枯らして持ち帰り、新妻によろこばれたこともあった。
また、大井川の源流、椹島をベースに聖沢や明石沢でイワナを思う存分釣ったのも忘れがたい想い出で、今でも目にうかぶ。
老境に入った今、これらの釣旅のときめきを胸に、イワナよりやや下流のアマゴやヤマメの谷に入り、瀬音をききながら、より敏感で繊細な魚を追い続けている。