私がはじめて山に登った(?)のは、2~3 歳のころ。父のリュックから顔を出し、背負われて登った。どこの山だったのか、多分京都の北山のどこかであったのだろう。 父は日本の登山の黎明期に活躍した人であったから、家族とともに山に登ることも楽しみであったのだろう。私には2 歳年上の姉がいたが、私の初登山のときも、姉は小さなナーゲル(鋲靴)をあつらえてもらってはいていたという。
私が大学受験で浪人中の夏、父と山に登ることになった。北アルプスの穂高岳である。上高地から梓川にそって徳沢、横尾とすすみ、涸沢に入リテントを張る。終戦後間もないころであったので、夏だというのに、今とちがって穂高周辺にはほとんど登山者の姿はなかった。 私にとってもはじめての本格的な山登リであったので、徳沢ののどかな牧場のさきにそびえる穂高や明神の岩峰、そして雪渓など素晴らしいアルプスの風景に目をみはり、感動の連続であった。
快晴の朝、ザイテングラートから奥穂高岳に登頂‘頂上から見下ろす岳沢から上高地への雄大な景観に感激。梓川の流れが見える。下リは吊リ尾根を通リ、前穂高を経て、北尾根の5.6 のコルから直接涸沢に降リるルートをとる。 これは一般ルートではなく、上級者むけのルートである。初心者の私は、ピッケルはもっていたが、その扱いになれておらず、コルから雪渓を下リはじめてすぐに転倒し、仰向けになって滑リ落ちはじめる。 なすすべもなく、どんどんスピードを増し、危険なガレ場にむかっていく。そのとき、先におリていた父がガレ場のすこし上で私に飛びついて、抱きとめた。慣性の法則で二人のスピードは落ち、ゆる<ガレ場にすペリこんで止まった。かなリむちゃな指導ではなかったか。
その夜‘焚き火をかこんで父が「山の洗礼を受IIたのだ、今後おまえは山で遭難はしない」と。山の霊気の中でのきびしい洗礼であった。それ以債.仏は四季をつうじて、いろいろな山に登ってきたが、今日まで大きな怪我もなく過ごしてこられた。 それは、このできごとがあったからだと、いまでも信じている。また、同時に山のすばらしさ、魅力、そしてその裏にある危険をも学んだ山行きであった。